『マイマイ新子と千年の魔法』インタビュー
                 
片渕須直監督演出の魔法(1)

■『マイマイ新子と千年の魔法』 
芥川賞作家 高樹のぶ子さんの自伝的小説「マイマイ新子」を原作に、昭和30年代の山口県防府の風景を美しいアニメーション映像として劇場アニメ化した。どこまでも続く麦畑と青い空、そのなかで自分たちの世界を真剣に生きる子供たちを描く。
『名探偵ホームズ』や『魔女の宅急便』で宮崎駿監督を補佐し、劇場アニメ『アリーテ姫』などを監督した片渕須直さんが監督するのも注目されている。アニメ制作は数多くのクオリティアニメを生み出したマッドハウスである。
 http://mai-mai.jp/

■ 片渕須直 (かたぶち すなお) 
1960年大阪生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。宮崎駿監督が参加した日伊合作のテレビアニメーションシリーズ 『名探偵ホームズ』で、脚本・演出補を担当。89年宮崎駿監督作品『魔女の宅急便』でも演出補を務める。
96年世界名作劇場の『名犬ラッシー』では監督としてシリーズをまとめあげた。01年劇場アニメ作品『アリーテ姫』で監督・脚本を手掛け、 また同年にゲーム作品『エースコンバット04 シャッタードスカイ』に演出・脚本として参加した。06年のテレビアニメシリーズ 『BLACK LAGOON』で監督・シリーズ構成・脚本を担当。他にも数々のアニメーション作品でその手腕を発揮、高い評価を得ている。


■ アニメーションは全部ファンタジー 

アニメアニメ
(以下AA)

最初にぱっと観た時に、児童映画なのかなと思うのですが、それとはやや異なる様に感じました。子供向けという意識、あるいは子供に特に見せるという気持ちは大きかったのですか

片渕須直監督(以下片渕)

自分も含めて子供であった時代を大事にしたいなということですね。
子供は子供でもちろん観ていただきたいし、大人の人たちも、かつて子供だった時代を思い出して観ていただけるとありがたいなと思っています。

AA

子供たちに対して、主人公の新子もそうですし、貴伊子にも、とても共感しやすいですね。あ、きっとこういう感じなんだろうなと思いました。
よく子供の映画を作った時に、子供たちが妙に大人びてしまうことがあったりします。子供らしさを表現する子供の心情というのは、どこから出て来るのでしょうか。 

片渕

率直に書いたらそうなってしまったという感じです。無理に子供を作り上げようと思わない、自分の中に思い浮かぶ子供です。
深刻に悩むにしても、その深刻さってこの辺ぐらいまでとか、あるいはこれ以上深刻になったら、大人の深刻さとは違う方向に暴走するだろうとか。自分の中に普段からそういうイメージがあって、ストレートに出したらこうなったということだと思います。

AA

映画では昭和30年代が舞台になり、もうひとつ千年前のお話も出て来ます。昭和30年代の話と千年前の話が並行して進むのはなぜなのですか?

片渕

僕はアニメーションは全部ファンタジーだと思っているところがあります。絵空事という意味ではなくて、どこか心の中で抱く物語としてのファンタジーだろうと思っているんですね。
それは昭和30年代の物語そのものが、すでにそうなのかもしれない。それとはまた別に千年前という、そこに住んでいた子供たちの状況を想像する新しいファンタジーがあります。

映画を『マイマイ新子と千年の魔法』というタイトルにしたように、そういうイマジネーションの世界が加わることは、僕の目指している映画の作り方からいうとむしろ本来の姿なのかなという気がします。


(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

.■ 新子は自分に気づいている子供

AA


ふたつの話が並行に進み、最後のところで千年前の話が貴伊子と重なります。でも新子はあの物語に重ならなかったのですが、なぜ貴伊子の方がつながったのか、少し不思議だなと思いました。

片渕

新子は自分の正体がもう、何者か気付いている子なんじゃないのかなという気がしたんです。新子はそうなんだけど、貴伊子の方は、自我をもうちょっと育てなければいけない余地を持っていたんです。
実は、初めは新子が昔に直結してしまうのも、あってもいいかなと思ったんです。けれど、おそらく新子はそういう子ではないんです。

片渕

日本のアニメーションは、登場人物、それから観ている側 観客のアイデンティティーの問題をものすごく大事にするところがあります。それは昔の東映の長編動画時代から、すでにそういうものがあったんです。

最近でいうと『ヱヴァンゲリオン』なんかもそうですけれど、そのアイデンティティーの問題で、揺れ動く心というのをずっと描き続けてきたんです。でも、ずっとそれで揺らぎ続けているだけじゃなくて、もう少し確固たるものも持っている主人公って出したかったんですね。
でも、それはただ独立して自分がそういうものだと言っている新子だけじゃなくて、かたわらに貴伊子みたいな子がいるわけです。貴伊子はまだ本当の自分って何なのか見つけている途中なんです。そういう2人の物語なんだろうなと思っています。

AA

最初に観た時に、これは新子と貴伊子の物語なのかなと思ったんです。けれど最後にきた時に「この映画の裏主人公はタツヨシだったんだ」と思ったのですが、タツヨシはどうですか?

片渕

そうですよね。『七人の侍』みたいなんですよね。みんなで遊んでいたんだから、みんなその時々で主人公になるんだろうなと思います。
おそらく彼は子供でないようにしようと思っていたんだと思うんですね。だけど、新子に会ってそこからいかがわしい大人の街へ行った、そこに住んでいる大人ですら昔は子供であったという正体を持っているわけですよね。そういうことに気が付いたことによって、素直に自分が子供であっていいと気が付いたんだろうなと思うんです。

AA

タツヨシのエピソードもそうですが、「さきほど児童向けなんですか?」と聞いたのは、物語の中に先生の話ですとか、貴伊子のお母さんは亡くなっている話ですとか、わりと重い話も入っています。
そこはさらりと流れつつも盛り込んでいる。これはどういう意図なのかなというのも考えました。

片渕

大人の世界は大人の世界として、厳然とあるわけでしょう。子供がお茶の間にいたときに、何となく聞こえてくる大人たちの世間話みたいなのから、ちらちらと大人の世界が感じられる。自分が子供の時に、リアルにそういう局面ってあったような気がするんですよ。

だから、大人たちまで子供に見えたら、彼らは子供である必要がなくなってしまいますよね。子供と大人がいて、子供の目から見て、大人たちは相対化しているんだと思うんです。それは子供を描くときに大事かなと思っていますね。

■その2に続く 防府はアニメに理想的な素材




(c)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

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