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文;氷川竜介(アニメ評論家) ここしばらくアニメ関係者の物故が相次ぎ、心押しつぶされることが多い。だが、クリエイターの「遺された想い」はフィルムに焼きついて残る。できうることなら、その想いよ人に届いて永遠に続け……というのが、筆者の切なる願いである。 舞台は未来の東京。目覚めた超能力に戸惑う少年少女たちと、それを狩ろうとする秘密の武装勢力の暗闘が続く。主人公クオンは若き能力者たちを守るため、自らを異形な者に変えて戦う……。これはどこか懐かしさのただよう設定の物語である。『Xメン』などとも共通する王道とも言えるし、肉体や精神の変化に戸惑いながらも仲間を見つけようとする思春期のメタファーともとれる。 飯田監督の作品は、『デビルマン 妖鳥死麗濡編』、『おいら宇宙の探鉱夫』、『機動戦士ガンダム/第08MS小隊』など、いずれも緻密なディテールと、誠実で理詰めな描写の積み重ねで盤石に構築されている。ウソやごまかしを排して引き絞ったうえで、アニメ的な快感を解き放つようなところがあった。そしてSF、ファンタジー、特撮、漫画など過去の名作へのリスペクトに満ちあふれ、それも単なるパロディではなく「本質」を継承しようという意欲もみなぎっている。 なぜ生きるのか、なぜ戦うのか。いや、生きることそれ自体が戦いなのか。失ったものがあったとしても、未来へ向けた行動が大事ではないか。暴走するエネルギーならば、コントロールすればいい。能力者と機械化兵士、異形の者同士の戦いが不毛な連鎖であるなら、それを断ち切ればいい。すべては魂と志の問題なのだから、すべてはそこから始まる。永遠(とわ)も久遠(くおん)も、もはや自らには果たし得ぬことと知りながら、それでもなお限られた残り時間の中で、飯田馬之介監督がこの物語に託したものとは、そうしたメッセージだったように思える。 『トワノクオン』 http://www.towanoquon.com/ 続きを読む "映画評 『トワノクオン』第1話 泡沫(うたかた)の花弁" » |
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数土直志 1979年に世に誕生した『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)が、制作当初のスタッフ、関係者の思惑を大きく超えて大ヒットとなったことはよく知られている。多くのファンの心を捉えた作品は、2011年の今に至るまで新作シリーズが生みだされ続けるほどの大成功を収めた。新シリーズには、新たな設定や世界観が次々と付加され、ガンダムの世界(=宇宙世紀)の物語はどんどん豊かになっていった。 つまり、ガンダムの長編シリーズの物語構造は、どれも大きな部分で共通している。ふたつ以上の軍事的勢力が戦争をして、一定の決着と伴に終わる。しかし、それはつかの間の平和でしかない。新たな勢力が急激に台頭、また戦争が起きる。それが決着する。そして、また新たな勢力が・・・ こうしたメビウスの輪から抜け出す試みが、これまでなかったわけではない。ひとつはガンダムの生みの親である富野由悠季監督の『ターンエーガンダム』だ。富野由悠季監督は、本作で全てのガンダムを肯定すると述べた。ガンダムシリーズ全部を黒歴史という概念で括る。登場人物のディアナは次の様に語る。「これらが黒歴史と言われているのは、人類の最終戦争だったからで、数百年続きました」と。戦いが続くのは必然、あまりにも頻繁に繰り返される戦争も正当化されるというわけだ。 その後、このメビウスの輪から抜け出す試みに挑戦したのは、水島精二監督の『劇場版 機動戦士ガンダム00 Awakening of the Trailblazer』だ。2009年にファーストシーズンがテレビに登場した際は、いかにもガンダム的な世界が繰り広げた。「近未来」、「人型兵器」、「複雑に絡み合う軍事勢力」、「悩める主人公」・・・。そして第2シーズンは、やはり依然続く紛争だ。 この『劇場版 機動戦士ガンダム00』とほぼ並行して制作されたもうひとつのガンダムシリーズが『機動戦士ガンダムUC』である。江戸川乱歩賞でデビューした大物作家福井晴敏の小説を原作にした本作は、『劇場版 機動戦士ガンダム00』とは対照的に驚くほど「ガンダム」である。 ただし『ガンダムUC』の面白さが、プログラムピクチャーとしてのガンダムを高度仕上げることだけでないのも見逃してはいけない。『ガンダムUC』は、これまでのシリーズにあまり見られなかった要素が盛り込まれている。それは、「謎解き」である。 |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) シリーズ25周年記念作品として「マクロス全部入り」が大きな課題だった『マクロスF(フロンティア)』。今回の劇場版「恋離飛翼~サヨナラノツバサ~」は、その「完結編」にふさわしい圧巻の仕上がりである。河森正治総監督に、ひときわ大きなピリオドを打たれた気分になる映画だと言える。 もともとTVシリーズ全25話として2008年に物語はいったん完結を迎えていたが、TVからかなりのシークエンスと映像を流用した前編「虚空歌姫~イツワリノウタヒメ~」に比べ、今回はごく一部のBANK的なカットを除いてほぼ完全な新作となった。その新鮮さが、まず大きな魅力だ。 物語的には、銀河の妖精シェリル・ノームがマクロス・ギャラクシーから送りこまれたスパイ疑惑という前編での新設定を絡め、大きな変化が描かれている。メカ戦闘についても、アルトが乗る機体はバルキリーの実験機YF-29と新型が用意され、フォールドクォーツを満載した仕掛けもそなえている。宇宙空間以外にも大地と重力のある大気圏内の戦闘にチャレンジし、マクロスクォーターさえもが新しい驚きのワザを繰り出す。 映画を観終えた後は、あらためてこれまで体験してきた『マクロスF』のすべてが愛おしく思えてきた。もう一度、TVシリーズの最初から映像や楽曲を追体験したいとさえ感じたのである。つまり、過去を刷新や更新して「なきもの」にした作品ではない。 『劇場版マクロスF ~サヨナラノツバサ~』 |
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文;斉藤守彦(映画ジャーナリスト) 東映でも円谷プロでもない。すべては、雨宮慶太というクリエイター個人のモチベーションとイマジネーションから派生した。それが日本特撮映像史上における、「GARO〈牙狼〉」というシリーズの独特のアイデンティティである。壮絶なるTVシリーズ終了から4年半。スペシャル「白夜の魔獣」を挟んでの新作が、なんと劇場映画!!なんと3D!!それも2Dで撮影した映像を、ポスプロ段階で3D化するという、我々が“なんちゃって3D”と呼ぶ、「タイタンの戦い」のような手抜きではなく、ちゃんと3Dで撮影を行うのだという。それだけでも雨宮ファンの血がたぎるではないか。 驚いたのは、TVシリーズ「GARO〈牙狼〉」のキャラクター・設定を引き継ぐ劇場版であるにもかかわらず、TV版の主役・鋼牙と相棒ザルバ以外は、レギュラー・キャラが登場しないというその内容だ。雨宮監督によれば、これは「1本の映画として、TVシリーズを知らない観客にも楽しんでもらいたい」との理由によるものだという。そしてこの試みは充分に成功している。仮にTVシリーズやパチンコの「GARO〈牙狼〉」を知らない観客が見たとしても、この劇場版「GARO THE MOVIE 3D/RED REQUIEM」 から受ける充実感は変わらないだろう。いや、インパクトという点では、むしろTVシリーズを未見の観客のほうが、より楽しめるかもしれない。 3D撮影ということでアクションの段取りなどは通常以上に大変だったようだが、特筆すべきは3D映像が、雨宮監督の映像美学に見事に溶け込んでいることだ。つまり「バイオハザードIV/アフターライフ」のように、3D撮影を誇示せんがため、無駄に刀や眼鏡を前方に飛ばして、立体感を強調してみせるという過剰な演出がないのである。冒頭の魔戒文字から黄金騎士ガロを包み込む炎等、本作における3D映像は、すべて雨宮監督の美学を形成するために存在し、すべては雨宮監督の世界観を表現することに貢献している。志のあるクリエイターと、その意を理解し、熟練したスタッフの手腕を持ってすれば、テクノロジーに振り回されることなくイマジネーションが現実化出来ることを、「GARO THE MOVIE 3D/RED REQUIEM」は証明したのだ。横山誠アクション監督をはじめとする、TVシリーズ以来の「GARO」チームの存在が、それらを可能にしたことは言うまでもない。 映画『牙狼<GARO> ~RED REQUIEM~』 公式サイト |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) ときめきながら待ち続ける観客たちの前で、四輪マシンの激しいデッドヒートが始まる。限界までスピードを極めようとするレーサーたちの心意気に充ちた走り。さまざまな異星から集結した特徴ある車の動きは、空間を切り裂いて歪ませ、鋭く荒々しい軌跡は視覚を引っかき回して、脳内にある堅い拘束を解放する。重低音の音楽の響きが観客の全身を震わせ、車体の振動や舞い散るリズムと溶けあったとき、思わず笑い泣きしたくなるような共鳴の感動が身を包み、脳内が何か怪しい「汁」で充たされる心地よさを覚える。 木村拓哉、蒼井優、浅野忠信と、キャストは話題性豊富。ストーリー展開も実にシンプルでストレートだ。格好いい男が可愛い女のため、四輪レースで勝とうと疾走する。すべてはこれに奉仕するためだけに構築されたデコレーションではある。しかし、バカだ、中身がないというのは、この作品の場合、ぐるっと回って褒め言葉に逆転する。そこまでのバカを高純度で極めたアニメ映画が、過去どれくらいあったというのだろうか? 本来、アニメーションとは、現実の不可能性を突破する奇跡を描く芸術であった。その限界を突破するエネルギーの源泉となる驚きは、フィルムのコマとコマの間の見えない世界にこそに潜んでいる。この映画は、何もかもが規格外でバカげている。それ積み重ねることで、そうした「アニメの本質」に迫っている。「これがアニメなんだ」という原点を、動きの快楽で触発しつつ、思い出させてくれるという点で、実に貴重な作品なのである。 『REDLINE』 公式サイト http://red-line.jp/ 続きを読む "映画評 『REDLINE』" » |
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文; 藤津亮太(アニメ評論家) 劇場版『機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』はまっすぐな映画だ。幕が上がると、この映画自身が語らんとするラストまで一直線に進んでいく。そのストレートな語り口は、全50話からなるTVシリーズとずいぶん対照的だ。 劇場版は『00』が孕んでいたSF的なコンセプトを全面展開、非人間型宇宙生命とのファーストコンタクトを題材とした。『00』の骨格が前面に出た結果、TVシリーズで骨格の上に盛りつけられていた「戦争/平和」「憎しみの連鎖」などの宙づりでなくては描き出せない要素は後ろへ下がり、イノベイターがどのような未来を切り開くかが具体的に、ストレートに描き出されることとなった。 以上、主にドラマ面から劇場版『00』の特徴を探った。もちろんキャラクターの繊細な表情、膨大な物量と激しいアクションで見せるELSとモビルスーツの戦いなど、劇場版らしい密度の高いビジュアルがこうしたドラマを支えているのはいうまでもない。 劇場版『機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』 |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) 「身近でありふれた世界や日常生活にこそ驚きが潜んでいる」 高畑勲と宮崎駿はこの考えを『パンダコパンダ』や『アルプスの少女ハイジ』などの実作で明確化し、日本のアニメの方向性に大きな変革をもたらした。スタジオジブリの最新作『借りぐらしのアリエッティ』(原作:メアリー・ノートン/企画・脚本:宮崎駿/監督:米林宏昌)もまた、床下に潜んで暮らす小人と心臓を病んだ少年との交流を通じ、日常を違った角度で切り取って見せる直系の作品である。 通常の人間と身長およそ10センチ程度の小人と、それぞれが所属する「ふたつの世界」の違いは視点の問題だということが、慎重に描かれぬいている。主人公が父親と初めて「借り」(「狩り」に相当する生活必需品の借用)に出かけるとき、観客は彼女と同じ視点で約20倍サイズの民家の中を探検する。この「20倍サイズ」はウルトラマンとミニチュアセットの比率に相当し、食器棚がビルのような激しい高さをもつものとして逆倍率でそびえたつことになる。初めて到達したときのキッチンの広大さの表現は壮絶なもので、CG的な正確重視の空間ではなく、「見た目」を重視したレイアウトによるアニメ的空間による視点の変化が最大の注目ポイントだ。 注意深く観察すれば、大小どちらの視点なのか、その手がかりが発見できるはずだ。ただ、その分だけ本来出逢うべきでなかった2つの世界に属する者が交わり、感情が錯綜していくはずのドラマが、いまひとつ盛り上がりきらなかったようにも思える。物語的にも両者は交流してはいけない「掟」にしばられているが、いったん衝突から融和に転じた2つの世界と2者の感情が、ふたたび引き裂かれてこそドラマになるはずだ。確かに段取り的にはそういう展開になっているはずだが、妙にさめた感じが漂うのが残念だった。さらに人間サイドの行動が押しつけがましく感じられたり、お話の都合で悪者を必要とするような構造があるように思えるのも、視点の意図が際立ちすぎた結果ではないか。 『借りぐらしのアリエッティ』 公式サイト |
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文; 藤津亮太(アニメ評論家) 児童文学の古典、アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』は、夏休みの子供たちが無人島で10日あまりを過ごす“冒険物語”だ。この「子供たちだけの夏の大冒険」という題材はは非常に魅力的だから、『ツバメ号とアマゾン号』の昔から現在に至るまでさまざまに変奏され続けている(たとえば『スタンド・バイ・ミー』から劇場版『ポケットモンスター』まで)。そして『宇宙ショーへようこそ!』もまた、その系譜に連なる「子供たちによる夏の大冒険」ものの傑作である。 本作のティーザーポスターは、山を背景にした5人の子供たち。いかにも“純朴で良心的なアニメ”風の絵柄だが、あれは一種の“撒き餌”。本作の魅力はむしろ、ポスターで描かれた日常的風景の重力圏を鮮やかに振り切り、ぐいぐいと誰も見たことのない異星の風景へと突入していく部分にある。 『宇宙ショーへようこそ』 http://www.uchushow.net/ 続きを読む "映画評 『宇宙ショーへようこそ』" » |
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文; 藤津亮太(アニメ評論家) 吉永裕ノ介の同名原作のアニメ化。今回公開された第一章「覚醒ノ時」は、全6部作の第一部になる。 物語の舞台は、化石燃料の存在しないクルゾン大陸。人はもとから備わった“魔力”によって石英に命令を与え、それによりあらゆる機器をコントロールしていた。 序盤という点でいうなら、戦闘以上にドラマこそ、原作の1巻を消化してまだ始まったばかり。現在も連載中の原作だけに、全6部で戦乱と4人の友情の物語にどう決着を付けるか。メカ描写にまけないドラマのうねりが生まれることを期待したい。 『劇場版 ブレイク ブレイド 第一章「覚醒ノ刻」』 公式サイト |
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『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』 取材・構成:氷川竜介(アニメ評論家) ●驚きのビジュアル、斬新な世界観の『9』 公式サイトでは「目覚めると、世界は終わっていた」というキャッチコピーと、振り向いた異形の生命体をとらえたキービジュアルがまず目を引く。丸い頭部に望遠鏡のようなレンズの目玉。麻袋のような身体には縫い目がある。より目立つのは、荒涼と広がる大地に、うっすらと見える荒れ果てた文明の残滓。そして迫ろうとしている機械化された怪物である。 ●死んだ世界の中に生命の希望を描く 本作には人形の縫い目、あるいは破壊された文明のヒビ、サビ、擦り傷などなど人為的に汚れた質感がビジュアルとして、まず観る者を圧倒する。明らかに一度死んだ世界である。そこに動く者たちは、滅亡の中に希望を見るシンボルだ。だが、主人公にとって決して善良なものばかりではない。敵対する機械化されたモンスター。そして巡り合えた仲間たちも、決して一枚岩ではないのだ。 「私たちが苦心したのは、3Dモデルで作られた描かれる登場人物たちが、いかにその世界においてリアルに見えるように描くかという点です。観客が彼らがそこで現実的に生きているかのように信じてほしいと、祈るようにして制作していました。技術的に目指したものは、いわば2Dと3Dの融合のようなものです。3Dのキャラクターのいる世界は、ほとんどマットペインティングの技法で描かれた2Dなのです」 油絵のようなタッチで描かれた世界。それは手描きの質感にこだわった結果だったのだ。その息づかいは、世界全体がまだ生きているかのようにも見せていく。 「私たちはいつも有機的な視点にこだわっていました。そしてすべてのシーンで3Dのセットを組むよりも、効果的なシーンでは平面に絵を描くことがベターだと考えました。手で描くだけではなく、ずいぶん写真も撮りました。実物の方が、デジタルデータとして用意されたテクスチャよりも良い効果をもたらすのです。コンピュータを多用しないというのは、私たちの芸術的こだわりですね」 世界が滅亡した結果の表現として、多くのアイテムには汚しが入り、多くのものにはスクラッチのような傷がつけられて、強い印象を残す。それもまた、監督の芸術的なこだわりの一環だったのだろうか。 「それは人やキャラクターの手が触れたことを表現したかったからです。人間が作ったものの末路を置くことを通じて、現実世界の地球の歴史を示そうという意図もありました。人類がいかに繁栄し、動物のトップに君臨したとしても、いったんその地位が崩れ去って滅びた後は、建造物も倒壊して自然にふたたび帰ろうとするでしょう。だから、あの廃墟も人間の作りだした光景と言えます。“死”の中にあえて“生”を表現することで、自然を違った方法で表現したわけです」 そして人形のキャラクターたちは、彼らを取り巻く環境を自然だと理解しているかのように行動する。その行動が見せつけるバイタリティは、この映画の大きなポイントだ。 「廃墟のような世界で、灰の中から立ち上がるような力強い気持ちを表現するためには、彼らがこの世界にいろんなもので縛りつけられていることも見せる必要がありました。だから高さを描き、重力や炎などの表現にもこだわっています。自分で努力を重ねてそうした束縛を振りきって何かをなした後にこそ、次の進化への段階が期待できるはずだと思うからです」 ●滅亡した世界と小さな人形たち 世界を滅亡に導くもの。滅亡後に現れたもの。それは機械化された生物とでもいうべきモンスターたちである。中にはSFの元祖H・G・ウエルズの『宇宙戦争』のウォーマシンや、第一次世界大戦で用いられた毒ガス兵器のイメージが投影されたものもある。そして人形に生命を吹き込む装置のような、ややアンティークな世界観は、現実の歴史とは少し違った様相を示している。 「私は一種のパラレル・ワールドとして描いています。もし過去の世界大戦中に私たちが手にいれなかったようなブラックボックスが発明され、別の産業革命が起きたとしたら……という世界観です。この世界では人びとは機械への過度の信頼をおき、機械の時代を迎えています。結局のところ、機械が重要視され過ぎて人間性の視点を失った結果、滅亡してしまった世界というわけです。機械のモンスターたちのデザインコンセプトとしてはスチーム・パンクの類で、産業革命の蒸気機関を意識しています。何ががどのように動くのか、カムやシャフトやワイヤーなどのメカニズムが露出していて、見た目は決して美しくはないけど機能的。そこが面白いところですね」 「9」たち人形キャラクターたちは実にユニークだ。そのシンプルなデザインに対し、人間的な所作は実に複雑でユーモラスで、次第に生きた人間に見えてくる。そのデザインにこめられたものとは? 「目の基本的なコンセプトは望遠鏡で、フィルムで記録するカメラのようでもあるし、細かいものを見つめる窓のような役割を持たせています。顔の中でも目を格別に大きくデザインしたのは、私たち人間を誇張して表現するためです。敵対する大きな機械は重くて冷たい動物として表現していますから、そのモンスターとのコントラストを引きたてる意味もあります」 麻袋のような独特の手触りを感じさせるキャラクターの質感は、映画を見終えても心に残る。身近な品物で構成されたパーツは、どんなきっかけに生まれたものだろうか? 「今から10年ぐらい前、ストーリーボードを描くうちにインスピレーションが訪れました。それはダークな世界で古く壊れた人形が生命を持つというアイデアでした。私は“無垢と幼児性”を対比させたテーマが大好きだったので、それを思いついたダークなシチュエーションに持ち込みたいと思いました。たとえひどく暗い世界でも、人形が戦って生き残ろうとしていく。その成功に向けた努力や行動に感情移入してもらえるよう、あのように麻の手触りを感じさせるキャラクターを設定してみたわけです。私はパペット(人形)アニメーション、特にチェコの作品が大好きなんです。日常生活で目の前にある品物が生命を得て動き出すこと自体に驚きがあって、とても刺激になりますね」 後編に続く 『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』 原案/監督: シェーン・アッカー(アカデミー賞®短編アニメーション賞ノミネート) 提供/配給:ギャガ powered by ヒューマックスシネマ |
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『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』 取材・構成:氷川竜介(アニメ評論家) ●ダークな世界観と日本製アニメの関係 作中、さまざまに工夫をこらした表現についても、鑑賞前に少し掘り下げておきたい。まず、ポスターも含めて「緑色の光」が非常に特徴的に使われている。 「この物語は人形と機械との対決を描いたものです。緑色は人形に込められた“人間の魂”を表現していて、同時に不気味さ、恐ろしさなど緊張感を高める役割ももたせています。緑色は機械側の目の赤色とのコントラストも意識しています。“魂の希望が入った人形”と“死をもたらす悪の機械”との対決。そういうイメージからわいてきた配色のアイデアですね」 それにしても、アメリカの他のCGアニメーションとは世界観も物語も、かなりテイストが違っている。どれくらい作風の違いを意識しての制作だったのだろうか。 「アメリカではアニメーション映画はカートゥーンと呼ばれ、子ども向け、家族向けと思われています。子どもにとって安全な作品ばかりですから、それに比べて私の作品はダークなセンスをもっていて、セリフもドラマ的なので、非常にリスクが高いと思います。ティム・バートン、ジム・レムリー、ティムール・べクマンベトフといった方々が私を信頼し、このプロジェクトを応援してくれたことで、なんとか実現することができました。特にティム・バートン監督の作品はとても素晴らしいし、私の感性ともとてもよく似ていると思いますね」 アメリカ市場に対し、日本ではファミリー向けとは異なる作風のアニメーション映画も多い。むしろアッカー監督の作品には、それに近しい部分も強く感じる。 「私はずいぶんと日本のアニメに影響を受けました。アメリカの作品よりも影響は大きいですね。好きなのは、まず宮崎駿監督の作品。『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』はとても好きで、同時にものすごく勉強になりました。『AKIRA』や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』にも、とても大きな刺激を受けています。どのフィルムも非常に刺激的な物語ですし、美しい映像技法の数々を使っていて、その美しさがまた物語のダークな世界観に説得力を与えていると思います」 やはり『9』に感じる親しみは、日本のアニメにも関連があった。『9』で気になった部分は、「生命のない人形を人間に見たてる」「限定された条件を巧みに表現に応用する」「ダークな世界観」などで、それは日本のアニメ作品とも考え方が似ている。 「私もいろんな作品から刺激を受け、物語の語り手となり、キャラクターをデザインしたので、日本の観客の方々も、私の『9』から何かを見つけていただけたらと思います。もちろんまず楽しんでほしいですが、驚くほど多くの芸術的な知識や技術を盛り込んでいるので、何度かご覧いただき、そうしたものを発見することも楽しいと思います。そしてアメリカのアニメーションのポテンシャルを、日本の作品のようにダークで複雑で、魅力的なものに引き上げられたらと願っています」 ●ユニークな人形たちと主人公「9」 登場する9つの人形たちは、体格も性格もバリエーション豊かで、それぞれ非常に個性的である。その描き分けには、どのような意図があったのだろうか。 「私たちが映画に見出したいものとは、“登場人物がどこから来たのか”そして“何をするか”です。登場する9つの人形には、それぞれ異なる人間の個性を象徴させてあります。だから、みんなどこか少し奇妙なところがあったり、それぞれ強さや弱さを備えているわけです。でも、そうした異なる個性を重ね合わせ、協力して再結合させることで、試練にも等しい厳しい運命も克服できるに違いない。そんなコンセプトを、キャラクターの成り立ちにこめてあります」 その中でも主人公の「9」は、記憶をもたずに誕生するところなど、格別のポジションにおかれている。彼の役割とは、何だったのか。 「まず主人公は作中の世界について、まったく何も知らないキャラクターにしたいと思いました。それは観客と同じ視点ということなんです。彼が“この世界はこうなっているのか”と分かると同時に、観客も理解するわけです。困難にぶつかったときにも“9”は私たちと同じように考え、自分が正しいと思うやりかたで決断して行動する。だから感情移入できるんです。彼自身の力と強さが、彼を自然とリーダーにさせてしまう。たとえ結果が辛くて過程が困難に見えても、純粋さや理想で立ち向かうことで勝てるわけです」 となると「9」は一種のヒーローととらえることも可能だが、それともまた少し異なっているようだ。 「“9”は決して典型的なヒーローとは呼べないと思います。むしろ女性の“7”の方が強くて能力もあるし闘争心も備えていて、よほどヒーロー然としているでしょう。でも、彼女はどこか一面的なんです。独立しすぎているし、目的を優先して他人を突き放すようなところがある。一方の“9”はどんなことでも受け入れ、すべてを自分のもとに集めるタイプです。そして対立する“7”も受け入れる。“9”は考えるよりも、想ったり願ったりすることを優先します。だからこそ、困難な運命も乗り越えられるんです。私たちは型にはまったヒーロー像を少し変えてみたいと思って、そんな風に描いてみました」 そこまで言われれば、そんなユニークな主人公のナンバリング、そしてメインタイトルを『9』とした理由も気になるではないか。 「いろんな文化や哲学で“9”はいつも力強く、不思議な数字として扱われてきたからです。“9って何だろう?”“9は何をするんだろう?”と観客が思いながら、私の謎めいた世界に入ってきてほしい。そんな入り口になることを願って選んだ数字ですね」 人形の顔は非常にシンプル。だが、映画を見ているうちに、細かい感情のニュアンスまで次第にくみ取れるようになっていく。これだけ深く感情移入させる秘訣とは何なのだろうか。 「それは主にアニメーターの努力の成果ですね。デザインのシンプルさは動かすときの制約にもなりますが、逆に制約があるからこそアーティストたちは素晴らしい解決方法を見いだそうとして、知恵を絞るわけです。レンズの絞り程度しか感情を表すためのデザインは備えていませんが、パントマイムのように全身を演技に使うことで、とてもユニークで際立つキャラクター表現を、試行錯誤の末に見つけることができました。 ●音響演出、日本の観客へのメッセージ 本作は音楽や効果音も実に慎重に設計され、強い印象を残している。重さや軽さ、大きさや小ささを感じさせる秘密は、音響にあるように思える。 「サウンドはビジュアルよりも映画の世界により強く引き込む効果があるため、たとえ死に絶えかけた世界であっても、とても重要なものになります。別の国の観客にも言葉の違いを越えてキャラクターを定義づけ、的確に伝えることもできるわけです。ですから、サウンドデザインには特に注意を払いました。 『9』のもつ独特の世界観と、そこへの没入度の秘密が少し分かったような気がする。最後に締めくくりとして、アッカー監督から日本のアニメファンに対するメッセージをうかがった。 「少しでも多くの方に、観ていただきたいですね。キャラクターに深く感情移入できる、驚くべきユニークなアニメーション映画がアメリカにもあるということを、知っていただきたいです。様々な階層でいろんな表現を積み重ねた映画ですが、特に精神的なレベルにおける“この機械社会で人はどう生きるべきか”について、多くのことを語っています。テクノロジーとの密接な関わりを深めていく時代になっていますが、その中で人はどのようにして人間性を維持するか、そんなことを考えるきっかけになればと。おそらく日本の観客の皆さんは、この作品の内容について良く分かってくださると思います。私の感性は、きっと日本のみなさんに近いはずですから」 前編に戻る 『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』 |
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文:荒川直人(映画ライター) 『THEビッグオー』で知られる片山一良監督初の劇場アニメ『いばらの王 -King of Thorn-』は、実に挑戦的な映画である。それは一筋縄ではいかない複雑な魅力を兼ね備えつつも、観客に決して優しい作品ではない。人によっては難解すぎると失望させてしまう可能性も否めないが、一方で、近年久しく味わえなかったSF映画の醍醐味に満ちて、スリリングな面白さを提供してくれる。二度三度と繰り返し観ることで新たな発見がある――という段階で、ほとんどの観客の期待とかけ離れてしてしまうのかもしれないが、本作はその映画的な奥行きが素晴らしい。 2012年、感染後60日以内で石化するという致死率100%の奇病“メドゥーサ”の蔓延により、人類は絶滅の危機に瀕していた。治療法が見つからない最悪の状況下で、ある企業が未来に種の存続を託し、実用化したばかりのコールドスリープ施設を導入した大胆なプロジェクトを発表する。しかし、抽選で決定される資格者は全世界でわずか160名だけだった。 ゾンビこそ登場しないものの、本編の雰囲気はカプコンの人気ゲーム『バイオハザード』を連想させるが、漫画家・岩原裕二はヴィンチェンゾ・ナタリ監督のサスペンス映画『CUBE』(98)から原作のイメージを膨らませたのだという。立方体で構成されたトラップの迷宮から6人の男女の脱出劇を描いた一幕物は、確かに孤立する古城を舞台にした『いばらの王』に通じるところがある。 しかし、最初に本作を「挑戦的な映画」と書いたのは、それが理由ではない。 現在、24時間という有限の枠組みに対して大量のコンテンツが降り注ぎ、個人が受け取る娯楽の総量は飽和している。だが、それでもより多く楽しみたいという人々の欲求から、一つ一つのコンテンツに向き合う時間は明らかに減少している。録画して溜まったTV番組を見る行為を「消化」と称するのは象徴的で、マルチモニターで「ながら視聴」することなど、もはや誰にとっても特別なことではない。 観客と真正面から対峙する片山監督の姿勢は、仕掛けられた“メデゥーサ”の謎と重なり、難関をくぐり抜けた者に新しい映画の未来を託そうとしているようにも見える。気軽に触ろうとすると怪我をしてしまいそうなトラップ満載の『いばらの王』だが、そんな危険なトゲがあるからこそ、やはりこの「花」は美しいのだと思う。 『いばらの王 –King of Thorn-』 http://www.kingofthorn.net/ ■ 荒川直人 「荒川直人の週末シネマ」 http://ameblo.jp/nippon1939/ |
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文; 氷川竜介(アニメ評論家) 荒涼たる砂の大地に、百戦錬磨の不敵な面構え。腕に自慢のガンマン同士が対峙し、生命をかけた火線が交わる。酒瓶が割れ、木造のカベは吹き飛び、穴だらけになる。そんな西部劇の魅力をSF仕立てに置き換えた数々の作品の中でも、この『劇場版TRIGUN(トライガン)』は異彩を放っている。それは深紅のコートに身を包んだ主人公のヴァッシュ・ザ・スタンピード、彼の示す不思議な存在感によるものだ。 ポイントとなるキーワードは、「世の中、つまるところは奪い合い!」というガスウッドの言葉の示すとおり、「因果」だと思った。すべてのことには原因があり、結果がある。そこには果てしのない連鎖があり、時間を超えて続いていく。英語で収支のことを「バランス」と呼ぶように、実はその奪い合いの因果が均衡のもとになっている。奪い、ため込むだけではダメなのだ。今回の物語でも、ヴァッシュとガスバックの20年前のある関わりが原因となって、ある重大な結果が生まれた、それはラスト近くまで明かされない。ヴァッシュの「ラブ&ピース」に基づく不殺のポリシー、そして手にした大金を次の強盗計画へすべてつぎ込むガスバックの美学が、せめぎ合うようにしながら、ひとつの「バランス」にたどりつく構造に快感を覚えた。 劇場版 『TRIGUN Badlands Rumble』公式サイト |
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文; 氷川竜介(アニメ評論家) テレビシリーズ11話、劇場版1本と長尺を積み重ねてきた『東のエデン』も、ひとまずこの劇場版の後編で完結となった。「日本を救うために百億円を与えられたらどう使うか?」というセレソンゲームは、滝沢朗と森美咲の帰国により、一挙に最終段階へと向かう。「滝沢は王様になれるのか」という未来と「滝沢とは何者だったのか」という過去が対置される中で、さまざまな人びとがうごめくことで、ゲームの勝敗の行方と黒幕があぶり出されていく。 実際に「今回でお別れか、寂しいな」という想いが去来したのは、自分でも意外だった。それは、登場人物それぞれの活躍を通じてにじみ出る魅力に触発されたものだ。実にユニークなバックグラウンドをもち、個性豊かな人物像は、生身をもたないアニメキャラクターなら当然ではある。だが、終局にあたる後編では、そうしたテクニック論を越えた「いのち」がキャラに宿ったように感じられる瞬間が何カ所かで訪れた。その頂点にあたるのが、咲がクライマックスで滝沢に対してとる行動である。そこに確実に存在する感情の高揚を心の共鳴として感じとれるかどうかで、本作の評価は大きく分かれるはずだ。 さて、エンディングで主題歌が流れても、絶対に席を立ってはいけない。エピローグがついているからだ。そこでさらに広げた風呂敷がひとつ畳まれるが、最後のそのまた最後で筆者は「何だって?」と耳を疑い、激しく動揺したのであった。直後に神山監督の取材があったので、速攻で真意を尋ねたが、当然のように笑みしか戻ってこない。予想どおりの反応だ。だが、神山監督の映画に意味のない言葉や映像はあろうはずがない。 『東のエデン』 公式サイト http://juiz.jp/ 続きを読む "映画評 『東のエデン 劇場版II Paradise Lost』" » |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) アニメ版『時をかける少女』(2006年/細田守監督)で力いっぱい突っ走る主人公を好演した仲里依紗――彼女を主役に同じ原作を実写化するという、ある種のアクロバティックさを感じさせる企画である。 「よりによって1974年へタイム・リープか」というのが、現実世界の1974年では高校生だった筆者がまず思ったことだ。具体的な時制が示されたことが驚きであった。記憶の中では、この時代にはきわめて大きな節目が刻み込まれている。1973年10月の第四次中東戦争を受けて原油価格が高騰し、いわゆる「オイルショック」が起きる。太平洋戦争敗戦から復興して四半世紀余り、日本の高度経済成長も限界をむかえ、公害などの歪みを生んでいた。劇中の1974年2月ごろは、繁栄から暗転した世相が決定的になってたころだ。SF作家・小松左京の書いた「日本沈没」がベストセラーとなり、73年末に公開された同題の特撮映画が大ヒット。同時期にノンフィクションの体裁で刊行された「ノストラダムスの大予言」とあわせ、一挙に「終末ブーム」が加速していた時期でもある。 筒井康隆のSF小説『時をかける少女』を原作に、時代ごとのクリエイターたちが思春期への思い入れたっぷりに映像リメイクを繰り替えしてきた。そのあまりの反復ぶりは、この作品自体に「時をかけるパワー」が宿っていることを暗示してきた。数あるSF作品の中でも本作独特のメタなパワーは、谷口正晃監督版の「具体的な時制を示し、現実世界と時かけ世界を橋渡しする」という仕掛けを得て決定的になり、次なるステージに移行し始めたように感じられる。 『時をかける少女』公式サイト http://tokikake.jp/ 続きを読む "映画評 『時をかける少女』" » |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) 『ペイル・コクーン』で映像感覚が高く評価された吉浦康裕監督による初の長編映画である。連作短編『イヴの時間』(6話分)を1本にまとめたオムニバス的構成だが、単なる総集編ではなく、すべてHD画質で再レンダリングされた上で音響ふくめ、すべて劇場の集中できる環境にチューンナップ。さらにあっと驚く新作カットが随所に追加されている。一連の流れができて各話の関連も見えやすくなったため、一度観たはずのエピソードも「あれ、そういうこと?」と新たな興味をそそる部分が発見できる。そんな嬉しい仕掛けが満載の映画だ。 インディーズ作品では「映像クオリティ」や「作家性」を研ぎ澄ます方向性をとることが多い。吉浦監督の前作『ペイル・コクーン』もそうだった。しかし今回は「シチュエーション・コメディ」を目ざしたという。人気テレビドラマのように、ひとつ固定した「舞台」を用意し、そこに出入りするキャラクターに会話中心のドラマを紡がせることで、観客を引きこんでいくわけだ。「原作、脚本、絵コンテ、演出、3DCG、撮影、編集、音響監督」と監督自身が名を連ねる目的も、その絶妙な会話の呼吸と、映像のカメラワークや照明を密接にリンクさせることにある。 設定やテーマの深いところを悩まずに、すっと作品世界へと引きずりこまれるその巧みな演出手腕は、特にアニメに興味のない観客が抱くかもしれないガードを思わず下げさせる。その様子がまさに作中で問われる「人とロボットの区別」をどうするかの問題に直結している。 『イヴの時間 劇場版』 |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) 奇跡のパワーを秘めたアイテムで美少女が変身! ステッキを武器にバトル! 「魔法少女もの」は女玩(女児向け玩具)の販促企画の作品群からスタートし、いつの間にか「大きなお友だち」向けにひとつのジャンルを形成するようになった。本作『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』(原作・脚本:都築真紀/監督:草川啓造)も、そんなジャンル作品がファンに支えられて成長し、ついに劇場版にまで登りつめた映画だ。合計3シリーズが制作されたTVアニメ版「なのは」を表紙にするとアニメ雑誌の部数が確実に伸びるという定説があるほど、堅実で熱い層をつかんでいる。 『なのは』を愛するファンのために、作り手が「良かったところ」を抽出し、新たな見せ場として再構築する。それは当たり前のことだ。そして、一般にクリエイターたちはやや冷静で客観的な立場になって、観客をさらなる高みへとリードしようと試みるはずだ。ところが、この劇場版では映画が進行するにつれ、明らかに作り手の側も『なのは』を溺愛していることが伝わってきて、それに圧倒されてしまうのである。 劇場版として特筆すべきは「音響」だ。なのは役の田村ゆかり、フェイト役の水樹奈々とダブルヒロインの声の明瞭度が増し、戦闘シーンにおけるギミックの作動音、爆発や着弾などの迫力向上は言うまでもない。一番の注目ポイントは、バトルを支える魔導端末レイジングハートのクールビューティなボイスだ。設定的には小道具の無機質な応答音声なのだが、なのはにネイティブな英語でチュートリアルを指示し、ともに戦って苦難を乗りこえていく、そのパートナーシップのけなげさには、思わず涙なのである。 『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』 |
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文: 柿崎俊道 2010年1月23日公開の劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』の試写会へ行った。 原作の『Fate/stay night』はゲームであるがゆえに、 本作はテレビシリーズと対になるように構成された作品だ。 これは、作品を否定しているのではない。 本作はアダルトゲームが原作と前述したが、 劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』も同じだ。 ただ、個人的に気になることがある。 劇場版『Fate/stay night UMLIMITED BLADE WORKS』 ◆柿崎俊道 (かきざきしゅんどう) |
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文: 柿崎俊道 同名カードゲームとともに子どもたちに人気の『遊☆戯☆王』が ……と思ったのだが、 問題は主人公たちである。 ●セル画調のキャラクターには、動画、仕上げにより、 ●手描きで施された立体感の上に、 ●そのおかげで双方の立体感がぶつかり合い、 押井守監督の映画『アヴァロン』のような書き割り感といえば、 本作はセル画調アニメの3D立体映像化という果敢な挑戦に臨んだ。 アニメは残像を利用したメディアである。 映画『劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~』 ◆柿崎俊道 (かきざきしゅんどう) |
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文:荒川直人(映画ライター) 世界的なアニメの演出家として知られる押井守監督が8年ぶりに手がけた長編実写映画『アサルトガールズ』は、『アヴァロン』(01)の設定を踏襲して新たなゲームフィールドに戦いを挑んだ4人のプレイヤーの物語である。 『アヴァロン』では「すべての映画はアニメになる」と謳い、日本映画の枠を超えたデジタル映像の斬新さや、ポーランドで撮影してもなお強固な押井ワールドの世界観などが話題になったが、当時はまだオンラインゲームの認知度が低く、大半の観客にはどこか実感の乏しい題材でもあった。 そもそも二時間弱という映画のフォーマットで描ける情報量は少なく、監督もかつて「ドラマ(キャラクター)を描くか、世界観を描くかの二者択一」と発言し、自身は積極的に「世界観」を選択する演出家だった。ところが、本作では「キャラクター」にカメラが向く。しかも主要な登場人物が三人の女優だなんて、まさかあの押井守が「萌え」に走るとはいったい誰が予想したであろう。趣味嗜好の違いはあるにせよ、『アサルトガールズ』とはそんな愉快な顔を内包する一作なのだ。 ただ、キャラクターの内面に迫るドラマはほとんどなく、アクションも総量としてはあまり多くないため、過剰に期待しすぎても肩透かしに遭うだろう。本編が70分しかないのに相変わらずのダレ場はきっちり用意されているので、いつも通りの心構えは必要だ。 『アサルトガールズ』 http://assault-girls.nifty.com/ ◆荒川直人 「荒川直人の週末シネマ」 http://ameblo.jp/nippon1939/ 続きを読む "映画評 『アサルトガールズ』" » |
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文;氷川竜介(アニメ評論家) 1年前には、こんな年になるとはまるで予想がつかなかった。だからアニメは面白い。2009年はSF・ロボットキャラの総決算年として、後世に記録されるはずだ。鉄腕アトム、マジンガーZ、マクロス、ボトムズ、エヴァンゲリオンとリメイク・続編がズラリ。鉄人28号、ガンダムも実寸大立像で参戦し、特撮世界からはウルトラマンと仮面ライダーが攻勢をかける。これにグレンラガン、エウレカセブンという21世紀作品の劇場版も加わった象徴的な年を、アニメ拡大の始まりであった宇宙戦艦ヤマトが復活して締めくくるというのは、あまりにも出来すぎだ。 その文脈で『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の意義を考えると、役割は「変わらぬものの存在を示すこと」にあると言い切れる。攻防を繰りかえす激しい戦闘映像やヤマト発進シーンなど気分を盛りあげる音楽主体の演出、「決断力」が試される危機突破、あっと驚く敵側の逆転の仕掛けなど、映画の視聴覚的なエンターテインメントを追求した姿勢は、まさにホンモノ健在の風格を見せつける。映画興行に必要なスペクタクルのハッタリ感を情緒的に見せつけるという点では、近年まれで貴重な映像世界がそこに現出している。 そもそも35年前、テレビシリーズ最初の『宇宙戦艦ヤマト』に反応した筆者らファンたちは、どこの誰かに頼まれたわけでもないのに声をかけあい、集い、ムーブメントを興していった。感想を語り合い、資料を保全しようと努力を重ねた。まだアニメ雑誌は創刊されておらず、街にコンビニエンスストアはなく、ネットも携帯電話もない時代、今から考えればお笑いぐさの文通などアナクロな手段を使い、どうなるか結果は分からないが、何かをしようと決断し、行動を起こしたのだ。そうでなければ自分の気に入った作品も時の中で忘れられ、大事なものが滅びそうな気がしたから……。動機はそれだけで、金銭も名誉も眼中になかった。それを保証するアニメマスコミ自体がないのだから、当然だ。 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』 http://yamato2009.jp/ 続きを読む "映画評 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』" » |
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「秩序ある興奮」がもたらす、爽快な大活劇 文;斉藤 守彦 去年の年末、筆者の連載「特殊映像ラボラトリー」で、2008年のアニメ・特撮映画の総決算を試みたが、その際2008年春に公開された「ワンピース/エピソード・オブ・チョッパー+冬に咲く、奇跡の桜」を評して「この映画の興行収入は9億円だが、この9億円には値打ちがある」と書いた。つまり、シリーズを重ねていくことで、今後伸びる可能性を含んでいる、さらなるブレイクが予測される。そのことを示唆したかったのである。 前作「エピソード・オブ・チョッパー…」は、その感動的な内容が注目を集めた。試写で見て、あまりにも泣ける話なので、再度シネコンで見た。すると場内には20代とおぼしき女性たちの姿が多く、上映前は「ルフィがねえ・・」「ゾロがいいのよお!」とか話していた彼女たちが、映画終了後、さめざめと泣いている。 アニメ映画版「ワンピース」を見ていると、映画を構成する3つの要素・・「ストーリー」「キャラクター」「世界観」が、原作のレベルで既にしっかりと構築されており、それらを映画としてどう表現するか。つまり作家性というか、監督の手腕や力量がはっきりと出る。ストーリーそのものは、ルフィと仲間たちが未知の島を訪れ、そこで敵と対決するというパターンが確立されていることから、演出としてはそのプロセスやシチュエーション、ディテイルをいかに見せて行き、最終的に観客の感情をどこに導くかが重要になってくる。この機会にシリーズの旧作を見直してみたが、中にはルフィたちと敵との対決の描写に力を入れるあまり、「ゴムゴムのー!!」「おのれぇぇぇ!!」の繰り返し。ハイテンションではあるけれど、バタバタしたシーンの連続になってしまい、見た後とんでもない疲労感に襲われる作品や、明らかにこの描写はやりすぎだろう。世界観に反するのでは?・・・と感じられる作品もあった。 その点新作「STRONG WORLD」は、原作者自ら陣頭指揮をとったこともあり、ストーリーこそいつものパターンなれど、その語り口はきわめて丁寧。「興奮」を与えるために、アクション・シーンばかりをたたみ掛け、観客をどっと疲れさせるようなことをしない。変な言葉だが「秩序ある興奮」を呼び覚ますことに成功しているのだ。ストーリーをきっちりと語り、ひとりひとりのキャラクターに対して、ちゃんと見せ場を与える。もちろんワキを固める多彩なアニマル・キャラや敵キャラも原作者の構築した世界観に、しっかり乗っ取っていることは言うまでもない。 『ONE PIECE FILM Strong World』 http://www.onepiece-movie.com/ 続きを読む "『ONE PIECE FILM Strong World』 批評" » |
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文;氷川竜介 (アニメ評論家) 『攻殻機動隊S.A.C』、『精霊の守り人』と神山健治監督の送り出すアニメ作品に覚える好感度の所在——それが最近の監督の取材記事を読んで、ようやく腑におちた。「決してあきらめないこと」なのだ。神山監督自身、演出家になるため、またオリジナルのアニメ作品を世に送り出すため、断じてあきらめようとはしなかった。その成果としてTVシリーズ全11話と、その続編として公開される劇場版(全2部作)がある。当然、劇場パート1「The King of Eden」もまた、「あきらめない人たち」の物語なのである。 百億円とは、現代社会において実現可能な「魔法」のことだろう。ノブレス携帯の役割は「魔法のステッキ」で、ジュイスは魔法少女を導く「魔法の国の使者(ペット)」なのだ。そう考えると、描写が深められるセレソンたち(新登場あり)と各々チューンされたジュイスとの関係性が劇場版の大きなみどころになるのは自明と言えよう。 『東のエデン 劇場版Ⅰ The King of Eden』 http://juiz.jp/blog/ 続きを読む "映画評 『東のエデン 劇場版 The King of Eden』" » |
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文;氷川竜介 (アニメ評論家) 私がこよなく愛する映画の1本に片渕須直の初監督作品『アリーテ姫』がある。一見してファンタジーの枠組みにあるような設定や道具立てを用意しながら、想像力豊かな少女の前にすべては相対化され、作りこまれたディテールから驚くべき世の実相が浮き彫りになる。それと同種の驚きと、生きることへの勇気を与えてくれる片渕監督最新作が『マイマイ新子と千年の魔法』である。 高度経済成長期にこれから入ろうとする直前、生活はまだ質素だったが、その分、人と人の関わりあいは濃密だった。ならばこれは人情優先のノスタルジー映画なのか。あるいはロケハンできれいな情景をすくい上げた疑似観光映画なのか。それも違う。50年前と千年前、どちらも過去に間違いはない。ではもう今は消えてなくなってしまったのか。自分とは関係はないのか。そんなことはない。千年前も50年前も等しく発掘を行うシーンが、それを裏付けている。 『マイマイ新子と千年の魔法』 http://www.mai-mai.jp/index.html 続きを読む "映画評 『マイマイ新子と千年の魔法』" » |
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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念 文:氷川竜介(アニメ評論家) "FORS"の高品位でクリアな映像と音声
■ 『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー
価格:各5200円(税抜)各5460円(税込) |
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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念 『幻魔大戦』りんたろう監督インタビュー 文: 氷川竜介(アニメ評論家) 僕が長編に入ったきっかけは『銀河鉄道999』(79)でしたが、自分の中で「今後こういうスタイルで作っていけるかな」と長編に腰を落ち着ける方向性を見つけたのは、『幻魔大戦』なんです。原作は角川文庫から出ていた平井和正さんの小説ですし、角川映画初のアニメーション映画ですから、それが一般の映画ファンにも認められるかどうか、角川春樹さんともども勝負に出たい。そんな想いで作った作品です。
音楽に関しては、鼓童の和太鼓は最初から使うつもりでしたが、全体は『銀河鉄道999』の青木望さんの音楽で行こうと思ってたんです。角川春樹さんは僕と同じで映画にどう音楽をつけるか、ものすごく興味のある人で、周りにはものすごくキレるブレーンもそろってましたから、そういう人たちとワイワイやってくうちに「キース・エマーソンはどうだ?」という話が突然出たんです。僕も大好きなミュージシャンですが、これまでにない発想に驚きましたね。 その間、僕はスタジオに画素材を持ってきてもらって、そこでチェックしてましたね。彼もアニメーションは初めてで熱心でしたし、やはりプロとしてものすごい柔軟性をみせるんです。仕上がってきたときに「もう少しここをこうしたら」と言うと応えてくれるし、「終わった!」と言いつつ、すぐまたやり直したり。「この音が足りない!」って分かると、どこからか音源を仕入れてきてまたそれを重ねるとか。ほとんど24時間働きっぱなしでした。「これが好きなんだよ」って言ってましたし、あんなに働いたミュージシャンは初めてで、面白い仕事ができましたね。
■ 『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー |
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『幻魔大戦』Blu-ray Disc化記念 『よなよなペンギン』りんたろう監督インタビュー 文: 氷川竜介(アニメ評論家)
コンピュータだと、キャラクターがどんなに面白く動いても、どこかに冷たさが漂ってる気がして、それが気になってました。絵でいえばクレバスで描いたような、温かみのある手塗りみたいなものが欲しかったんです。だから美術も大変になったし、洋服の質感にしても、本当にスタッフは大変だったと思います。
『よなよなペンギン』が子ども向けを意識したかどうか、自分の中ではよく分かりません。たとえ子ども向けに見えたとしても、どこかひそかに大人へ向けて作ってるところはあります。作品の中には、今の社会状況を反映したものがいっさい入ってませんし、時代のアクチュアリティーは、まったくありません。ただ、今の子どもたちにダブらせた部分はあります。子どもにとってのこの時代は世界中が息苦しくて、酸欠状態だと思うんです。そういう時代にも、子どもたちの中には心の可愛らしさみたいなものが本来あるはずだから、そこに触れればと。それを感じとってくれればなと思います。 《りんたろう監督からのメッセージ》 『幻魔大戦』 『よなよなペンギン』 (一部敬称略/2009年10月25日 秋葉原UDXシアターにて) 『よなよなペンギン』 http://yonapen.jp/index.html |
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注目すべきプロモーションアニメの新トレンド 文:氷川竜介(アニメ評論家) アニメは何もTVや劇場映画だけではない。意外なところに要注目のハイクオリティアニメが存在していて、にもわらず肝心のアニメファンに知られていないケースもある。ここではその一例としてニンテンドーDS用ゲーム『無限航路』(製作:セガ/2009年6月11日発売予定)のプロモーション用短編アニメーション『無限航路 Animated short film』を紹介してみたい。 アニメーション制作を担当するプロダクションは、GONZOとProduction I.G。アニメファンなら知らない人はいないほどの超有名ブランドである。そして監督は、ソエジマヤスフミ。デジタル系のディレクターでは非常に著名で、NHKで放送されたオムニバスアニメ『アニ・クリ15』(アニメクリエイター15人を選抜した1分の短編)でも『火男(ヒョットコ)』という斬新な映像で注目された。スタッフとしても、『巌窟王』(デジタルディレクター)、『ケメコデラックス!』(3DCGI)、『リストランテ・パラディーゾ』(アートディレクター)など目に焼きついて離れないような映像を提供、特にキーになる表現を美術的なデジタル技法で印象づけている。 |
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注目すべきプロモーションアニメの新トレンド 文:氷川竜介(アニメ評論家) プロモーションアニメは全4部に分かれ、物語的には「これぞまさしくスペースオペラの王道」とでも言うべき大河SFのイントロダクション部分を描いている。人類が銀河にあまねく拡がったはるかな未来、銀河の辺境惑星で暮らすユーリ少年が抱く宇宙へのあこがれから、この壮大なストーリーは幕をあける。 高クオリティなアニメ映像の余韻の中で、ふと我に返って疑問に思うのは、「なぜこの作品ではアニメがプロモーション手段として選ばれたのか?」ということだ。 このように考えてみれば、プロモーションアニメを手がかりに総合的な世界観をプレイ前にまず脳内にたたきこみ、それを「想像力の触媒」にしつつゲームを楽しむという方法論は、非常に理にかなった遊び方だと思えてくる。もともとアニメもRPGも想像力に訴えかけるメディアだからこそ、その相乗効果にはおおいに期待できるものがある。 興味をもたれた方は、まずネットで公開中のアニメ版からご覧になってはいかがだろうか。そこから思ってもみなかった、壮大な銀河宇宙への旅立ちが始まるかもしれないのだから……。 『無限航路』 公式サイト http://mugen.sega.jp/ 「無限航路 Animated short film」 【メインスタッフ】 美術監督: 西野隆世(株式会社バンブー) 作曲・ 指揮:天野正道 制作: GONZO / Production I.G 続きを読む "『無限航路』に見るゲームとアニメの相乗効果 (2)" » |
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なんとも奇妙に歪んだ作品、『崖の上のポニョ』を最初に観た感想だ。1時間41分の物語は、映画が本来必要とするフォーマットをことごとく逸脱しているからだ。 最も奇妙なのは物語の中で起こる多くの物事に対して、ほとんど何も説明がされていないことだ。「ポニョはなぜ人間になりたいと思ったのか?」、「ポニョの父フジモトは、なぜ人間を止めたのか? どうやって人間を止めたのか?」、「月はなぜ地球に近づいてきたのか?」、これはほんの一部で数え出したらきりがないほど謎だらけだ。 これは宮崎監督が、物語の語り手として未成熟なわけでない。説明の欠落は、監督がこうしたこと説明する必要をあまり感じてないためである。つまり、監督にとって物語は、普通の意味で完成されている必要はないようだ。 ここで誤解されると困るのは、こうした常識外れの『崖の上のポニョ』が、面白くない作品だと思われることである。映画が映画で在りえるための様々な条件が失われているにも関わらず、『崖の上のポニョ』はむしろとても興味深いし、考えさせることが多い。子供たちにとっては楽しい作品だろう。 映画であれテレビ番組であれ、あるいは小説や絵画、音楽でもいい、それらが名作となりうるのは、他者とは異なる際立った個性が立ち上がって来る時だ。 おそらくそれが、多くの映画ファンが、現在のハリウッドの大作エンタテイメント映画に対する違和感の源にある。そうした作品がエンタテイメントとしての面白さほどは心に残らないのも、ここに理由があるのかもしれない。 例えばディズニーやピクサーのアニメーションは、隙間なく計算し尽された完成度が高い。新作を観るたびにその出来に驚かされる。それはいわば、真円の真珠の魅力である。どこから見ても一様に素晴らしい。 崖の上のポニョ 公式サイト http://www.ghibli.jp/ponyo/ 続きを読む "「崖の上のポニョ」 歪んだ物語が心を捉える" » |
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byミルミル [編注]
驚いたのは、この2時間18分という長丁場で子供たちが飽きないことである。シリアスな展開になる東京タワー前まで、しばしば場内には子供たちの笑い声が響いた。 平和な家庭に突然客が訪れ、てんやわんやになる、という設定は昔からよくある。宇宙人あり、恐竜あり、デジモンあり、平安町の貴族の子供あり。それら珍客の中で際立った印象を残すのが、主人公のクゥの礼儀正しさだ。 不思議なことに、膝をついて挨拶をされると、される側も膝をついて同じく頭を下げる。礼儀正しさは相手からも礼儀正しさを引き出す。 クゥの物語には、世界の存亡にかかわる秘密はなく、戦うべき敵も存在せず、都市が破壊されるようなダイナミックなシーンもない。 映画を観た子供たちにお願いしたい。 最後、新天地やんばるに移ったクゥは、川の中で再び頭を下げる。 ラスト 沖縄のキジムナーとクゥの会話。 河童のクゥと夏休み 著者の紹介 ミルミル ミルミルのオタクな株式投資blog http://blog.livedoor.jp/mujinakko_2009/ 続きを読む "「河童のクゥと夏休み」 何度も何度も涙がこぼれる" » |
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byミルミル 7月14日 ポケモン映画10周年となる「ディアルガVSパルキアVSダークライ」が封切られた。 今回の映画の目玉は、何といってもスクリーンから、ニンテンドーDSのソフトに、「ダークライ」が配信されるということ。どの時点で配信されるのかと思ったら、随時行われていて、上映前でも、上映後でも(理論上は上映中も)受け取り可能であった。 今回のポケモンはスペインを彷彿とさせるアラモスタウンが舞台。そして時空の彼方で戦いを始めたディアルガVSパルキアの影響が影を落とす。 しかしアラモスタウンのダークライは… 今回の映画の主役、ダークライはまさにヒーローだった。 ポケモンは子供向け映画であるので、ストーリー上のルールがある。 ポケモン映画公式サイト「ディアルガVSパルキアVSダークライ」 著者の紹介 ミルミル ミルミルのオタクな株式投資blog http://blog.livedoor.jp/mujinakko_2009/ 続きを読む "ポケモン映画10周年 あまりにもかっこよすぎるダークライ" » |
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押井守監督の新作映画『立喰師列伝』の劇場公開が、4月8日から始まった。公開を喜ぶと同時に、僕は映画『立喰師列伝』の微妙なポジションに少しばかり心配を感じる。この映画を観ない多くの人が、この映画を誤解するかもしれないという不安である。 これまでの押井守監督の作品は、観ることに忍耐を要求し、その忍耐のうえに世界が開けるといったものが少なくない。あるいは、観る者に物を考えることを要求する作品といっても良いだろう。 しかし、『立喰師列伝』にはこれまでの作品と違い、執拗な問いかけが存在しない。作品世界を作り上げている虚構の戦後史といったなかに、現実と非現実の曖昧さや虚と実の違いという押井守のこれまで多く見られたテーマは存在している。 むしろ、作品のなかで印象深いのは、ハンバーガーを次々に注文をして、ハンバーガーチェーンを壊してしまう立喰師の存在の馬鹿馬鹿しさだったり、インド人そっくりの日本人立喰師という存在のあり得なさだったりする。 |
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今年の1月より三鷹の森ジブリ美術館は、3つの新作短編アニメをジブリ美術館限定で公開している。現在公開されているのは、『水グモもんもん』、『やどさがし』、『星をかった日』の3作品である。それぞれの作品は、アニメの質感も、物語のテーマも大きく異なっている。 先日、ジブリ美術館に行った際に、これらの作品の中から『星をかった日』を観ることが出来た。美術館では、一回の入場で一作品しか観覧出来ないのだが、3作品の中で一番ジブリらしい作品ということでこの映画を選んだ。 話は実は判りにくい。田園風景とSF的世界、ファンタジー的な世界が同居している。しかし、そうした物語の世界観は全く説明されない。主人公の少年ノナがなぜ農園で働いているのか、なぜ主人公は本来の住まいである時間局に帰りたくないのか、彼を保護するニーニャとのノナの関係はといったことは全く語られない。 物語の背景は説明されない代わりに、水の流れシーンや田園風景が、丁寧に贅沢に描かれている。一言でまとめれば、満足度も質もとっても高い作品であった。 『星をかった日』 |
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テレビ放映で人気になり劇場展開されるアニメ作品の多くが、これまでのファンに対するサービス精神に溢れている。人気キャラクターの総出演や人気アーティストによる主題歌、あるいは劇場公開に先立つ舞台挨拶などもこれに入れていいかもしれない。 『シャンバラを往く者』は、舞台の大半を主人公たちの本来の世界ではなくパラレルに存在する我々の世界におくことで、テレビシリーズから独立した作品にすることに成功している。ふたつの対立する世界とその狭間で苦悩するエドは全く劇場版のオリジナルである。そして、それこそが今回の映画の魅力のひとつであった。 「錬の錬金術師 シャンバラを往く者」公式サイト |
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『ベルヴィル・ランデブー』を観てきた。『ベルヴィル・ランデブー』は、フランスのアニメーションである。正確に言えばカナダ、ベルギーとの合作なのでフランス語圏のアニメーションといえる。現在、日本で劇場公開中だが話題になることが少ない。しかし、このアニメーションはかなり凄い。 |
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米国の大作アニメーション映画『ポーラエクスプレス』の公開後の興行収入が思わしくなく、早くもその巨額の制作費を回収出来ない可能性が懸念されている。しかし、『ポーラエクスプレス』のオープニング週末の数字は『Mr.インクレディブル』に開けられているとはいえ配収約3060万ドルは決して少なくない。むしろ、大ヒット映画だと言っていい。問題は、製作費約1億6500万ドルと約1億ドルと伝えられている宣伝費にある。この巨額の制作費はかつてないほど顔の動きまでリアルに再現したモーションキャプチャーを始め最新の映像技術に膨大な資金が必要としたといわれている。 最新の技術と巨大過ぎる製作費のアニメーション。過去を振り返ってみると、これと似た構図がある。2001年に日本のゲーム会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)が社運をかけて製作した『ファイナルファンタジー』である。製作費1億3700万ドルのこの映画の興行収入は米国で約3200万ドル、日本国内で9億円であった。結局、製作費を回収出来なかった当時のスクウェアは、約130億円の特別損失をだし、その後、資本力の懸念からソニーグループの傘下に入ることになった。この両者に共通するのは、最新の技術を使ったリアルさの追求であった。つまり、アニメーションでどこまで現実に近づけるかである。確かに驚きはあった。しかし、映画は技術の驚きだけで成り立つわけでない。 『ファイナルファンタジー』が興行的に失敗した時によく言われたのは、本物そっくりなら本物でいいじゃないであった。つまり、人間そっくりならアニメである必要性はない。今回の『ポーラエクスプレス』でいえば、トム・ハンクスそっくりなキャラクターなら、最初からトム・ハンクスの実写映画でいいのでないか。観客が求めているのは本物そっくりのリアルな画像でないはずだ。むしろアニメ的であることのほうが重要でないだろうか。少なくとも両作品とも実写で作って製作費を抑えれば資金的にかなり楽であったはずである。そして、米国の批評サイトを見ると今回の『ポーラエクスプレス』への批判は、皮肉なことにキャラクター造形に集中している。大金をかけて実写には近づけても、実写にはならないのもまた事実である。 結局、アニメーションの作り手が考えなければいけないのは、アニメという手段で何が出来るかである。勿論、表現する手段が違うだけで、映像表現がしなければいけない基本は同じという考え方もある。しかし、アニメを観る側は製作者の思惑通りではない。多くの場合は、実写とは違う何かを、アニメだから出来る違いをそこに求めているはずである。 続きを読む "アニメ映画と実写映画" » |
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10月17日(土)に東京ファンタステック映画祭でプレミア上映された『機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者-』を観た。正直、もの凄く興奮している。予想以上の出来であった。素晴らしいと賛辞を与えるに相応しい作品だ。全てが想像を上回る完成度であった。ラストシーンのシャアとアムロの再会は感動的ですらあった。 私は、ファーストガンダムを愛する古いガンダムファンの多くがそうである様にTV版Zガンダムに対して複雑な気持ちがある。本来、続編を想定せずに作られたファーストガンダムに対して、Zガンダムはそもそも存在してはいけない物語である。最初の入り口に偏見が存在する。しかも、この作品のあと直ぐにZZガンダムが製作されたように、その後に続く数多くのガンダムの始まりであり、ある意味でファーストガンダム以上にシリーズの中では重要な作品でもあるのだ。ガンダムファンとしてはアンビバレントにならざるえない。 しかし、上映に先立って挨拶した富野由悠季監督の「長年、嫌ってきたZガンダムだが、こうしてみると悪い作品でなかった」の言葉通りの感想を私も感じた。Zガンダムは決して悪くない、それを今回の劇場版Zガンダムは証明しいている。 自分の愛する作品が改変された時に、人はどう感じるのだろうか。特に、今回の様に、物語の内容がほとんど変わってしまった時にはだ。この劇場版Zガンダムは、編集のための順番の変更や、物語のカットというレベルの話でなく、そもそも物語自体が変わっている。これまでのZガンダムを愛してきたファンは、このZガンダムこそが間違いだと思うかもしれない。私自身は、今回の『星を継ぐ者』こそが、20年の時を経て登場したZガンダムのスターンダートだと感じる。しかし、副題にさりげなく盛り込まれたNew translation(新訳)の文字がこう主張しているようにも見えた。これは、Zガンダムのリメイクでも、正しいZガンダムでもない。可能性として存在しうるもうひとつのZガンダムなのだと。そして、このもうひとつのZガンダムはアニメ史に名作と刻まれるに相応しい新しい作品だと確信出来る。 唯一、気になった点は、新作作画部分とこれまでの映像の違和感と微妙なずれであろう。制作の際に、CG処理により両者の調和を図ったということだが、やはり20年近くに及ぶ歳月のアニメーション技術の差は覆い難い。そして、最新の技術を持ってしても過去の画像を現在のレベルにまで、引き上げる技術はない。それ以上に、作画監督による個性の違いは年月以上の相違を見せている。 |
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実はこの作品、僕の評価はかなり低いので、押井氏がわざわざこの作品に言及したのに驚いた。『逆襲のシャア』については、以前にも似たような経験がある。あるかたと話していた時に、話していて非常に頭のいい人だと判った。そして、うれしいことに感性もよく似ている。 正直、僕は富野監督の作品はかなり好きだが、手放しで全部好きなわけではない。特に、明確に作るべきでなかったと思っている作品も幾つかあって、そのひとつが『逆襲のシャア』なのだ。 だから、僕は少し前まで『逆襲のシャア』は、最大公約数的に、みんながあれは駄目だねと考えていると思っていた。ところが、この作品一部では非常に受けがいい。しかも、僕が尊敬しているような人の中にもそういった人が多い。むしろ、数あるガンダムシリーズの中でもベスト作品として挙げる人も少なくないのだ。 小説にしてもアートにしても、あるいはアニメでもいいが、昔、大嫌いだった作品が、年が経つとともに好きになる時がある。しかし、少なくとも、今の僕にはまだ、『逆襲のシャア』を好きだとか、面白いと受け取れる気持ちはない。いつか、僕でも『逆襲のシャア』を「結構、面白い作品だよ。」と言える時が来るのだろうか。そんな時、僕はどんな風に考えてこの作品を評価しているのだろうか。 続きを読む "『逆襲のシャア』の逆襲" » |
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『スチームボーイ』の劇場公開が9月3日で終わった。製作8年、総制作費24億円をかけた大作アニメだったが、世間的な評価は、まさに賛否両論であった。良質なエンターテイメントと評価する人がいる一方で、ありきたりで面白くないとの評価も多数見られた。特に、ヘビーなアニメファンになるほど『スチームボーイ』に対して否定的になる傾向があるようだ。 これは最終的な興行成績が、期待していた水準ほどではなかったことをうまく説明している。『スチームボーイ』の宣伝は非常に大きなものだったが、それでも比較的高年齢のマニア層を狙っていたように思える。 僕自身は『スチームボーイ』を非常に楽しだ。2時間を越える上映時間は若干長かったが、時間を持て余すことはなかった。噂に違わない素晴らしい画像に、よく練られたストーリーはさすがだったし、個人的にイギリスが大好きなこともあり、驚くほど忠実に再現された19世紀のイギリスの風景にはかなりのもであった。 スチームボーイ公式サイト |
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最近、アニメのビデオを買いにまんだらけによく行く。本当は、収納の問題もあるからDVDの方が良いのだが、なにしろ中古のビデオは安い。この安さを見ると、見るだけならビデオでしょ!と思ってそっちに流れるしかない。 それでもって、『超人ロック魔女の世紀』なんてビデオを買ってきた。そして、そいつを、3日がかりでみた。2時間という時間がまとめて取れないので細切れでみた。 でも、一番気になったのは画面の絵。本当にセル画、セル画していてセルアニメだ~って感じなのである。平面的というか、単調な色使いというか。これは別が嫌とかでなくて、「あっ!これがアニメだよ!」っていう心地よさなのだ。おそらく、この同時期に公開された、劇場版『マクロス』とか劇場版『イデオン』からアニメの絵ってどんどん高度化していったんじゃないかなと思うのだ。 |
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現在劇場公開中の『アップルシード』を観に行った。実は5月1日が映画の日で、1,000円で観られるというのが最大の理由だ。そして、1,000円なら観るよというのは、僕的には、アップルシードにあまり期待していなかったことの現われでもある。ところが、この作品かなり面白かった。 具体的なストーリーについては、観れば判る話なので語らない。アップルシードについて語らなければいけないのは、エンターテイメントとしてのアニメは何かということだ。アップルシードの面白さは、ごく当たり前のストーリーを一生懸命作る、観客をいかに楽しませるかについて周到であるといったエンターテイメントの基本の部分で極めて真っ当な作品だということだ。それは、近年の子供向けでないアニメがしばしば無視しがちだったことでもある。 アップルシードを観る時、原作が共に士郎正宗であり、ほぼ同時期に公開されたこともあり『イノセンス』を意識しないわけにいかない。しかし、原作が同じであること以外に両作品の物語、演出上の共通点はあまり見出すことが出来ない。それは、観客に向かって作られたエンターテイメントと、作り手が自らの内側に向かって行ったイノセンスとのそもそもの基盤の違いである。 今年の劇場アニメは、『イノセンス』や『ハウルの動く城』、『スチームボーイ』など大作が目白押しだ。アニメじゃないがアニメから実写化された『キャシャーン』、『キューティーハニー』、『デビルマン』などの話題作も多い。 アップルシード公式サイト |
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