|
斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)
ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-2
斉藤守彦
【売店で関連商品がバカ売れ!】 映画館にとって、鉱脈の発見
「あの時のことは、よく覚えているよ。渋谷の東急文化会館の中の映画館を2館開けたにも関わらず、観客の行列が宮益坂のほうまで伸びていた。凄いことになったな、と思ったね」。こう語るのは、当時渋谷東急名画座で副支配人を務め、現在は配給会社ゴー・シネマの社長である会田郁雄だ。
実際、「ヤマト」を上映した映画館は、潤った。儲かった。通常映画を上映した場合発生する興行収入のうち、約半分が映画館=興行サイドの収入として計上されるのだが、「ヤマト」の場合はこれに売店売り上げが加わった。
「キャラクター商品やグッズ類を売店で販売したんだけれど、当時はそんなものを扱ったことがなかったんですよ。特にハンカチの売り上げがやたらに良くて、どんどん追加が必要になる。なんでこんなに売れるんだ?と思ったら、ひとつの袋に20枚入ってるのを、1枚分の価格で売ってたんだ。ちゃんと袋から出して、1枚ずつ売らなくちゃいけないのに(笑)。それほど慣れてなかった」と語る会田。
シネコン全盛の現在ならば、映画を見ながらポップコーンとコーラ、という鑑賞スタイルが定着しているが、32年前の時点では、売店の扱い商品は、せいぜいパンフレットぐらいであり、それも映画館にとって大きな収入をあげるものではなかった。
ところがヤマトのキャラクター商品の売り上げは凄まじく、「興行収入の40パーセントぐらいの額を、売店だけで上げていたんじゃないかな」(会田)という。ティーン向けのアニメ映画は、オイシイ」。映画館にとっても、興行収入以外の、新しい収入源が開拓されたのであった。
【1週目で、都内2館追加上映決定】 最終的に、配収9億円を計上
映画業界では、映画の公開がスタートする土曜と日曜の興行成績で、その作品の興行力を評価する習慣がある。1977年8月6日にスタートした「宇宙戦艦ヤマト」のオープニング成績は、当事者の予想を大幅に覆したものであった。
「キネマ旬報」1977年9月下旬号「興行街」によれば、「ヤマト」は都内6館において、2日間計4万5336名、興収4615万3435円と「今夏の洋画チェーンの興行としては、最高の数字を記録し、上映6館ともに動員・興行の新記録を樹立した」とある。この成績が、いかに凄まじかったことか。
例えば、今年ゴールデン・ウィークに公開された「交響詩篇エウレカセブン/ポケットが虹でいっぱい」のオープニング成績が、「ヤマト」と同じ6館で、2日間計6484名、興収1049万9200円。同じく今年G.W.に公開された「劇場版天元突破グレンラカン 螺巌篇」のオープニング成績が、20館(スクリーン)計1万8000名、2784万円だ。
32年間のタイムギャップや入場料金などの違いがあるとはいえ、同じ6スクリーン上映、初日から2日間、全回満席だったという「エウレカセブン」と比べて、「ヤマト」は7倍以上の観客数、4倍以上の興行収入をあげたのだ。今日のアニメ映画の興行に比べて、この時代のそれは、とてつもない勢いがあったことがうかがえる。
この勢いに乗って、都内では上映館が2館追加された。洋画ポルノ路線から残酷もの(ダイアン・ソーン主演作など)に流れ、一般映画への転身を図っていた、新宿東急と丸の内東映パラスが戦列に加わり、2週目の8月13日からは、実に都内8館での拡大上映となった。
また27日からは、さらに横浜ピカデリー、川崎グランドの2館での上映も決定。一方ローカル都市でのブッキングも、徐々に伸びていった。パブリシティ面での話題が「スター・ウォーズ」のおかげでピークを迎えたのと同様、劇場展開の面でも、思わぬ事件が上映館の拡大に繋がった。
当初7月30日より公開されるはずだった、アメリカ映画「ブラック・サンデー」が、その題材からか配給会社に「上映を実行した場合、劇場を爆破する」などの警告状が舞い込み、配給サイドと興行サイドが検討した結果、上映中止を決めたのだ。
夏休み映画、それもアメリカ映画の大作の上映中止は、この後も例がないほどだが、「ブラック・サンデー」の前番組で6月下旬から上映されていた「サスペリア」が、予想以上の好成績を上げていたことで、都心の映画館では8月以降も「サスペリア」が続映された。ところがローカルで「ブラック・サンデー」の上映を予定していて映画館のうち、「サスペリア」をそれまで上映していなかったところは、「サスペリア」の続映で乗り切ることが出来ない。
「僕が『ヤマト』を見た浜松の映画館も、数日前まで『ブラック・サンデー』が、次回上映作品としてポスターが貼られていました。要するに『ブラック・サンデー』が中止になったことで、急遽『ヤマト』の上映が決まったわけですね?」「その通りです。ローカルでの上映に関しては、そういう映画館が、いくつかありました」とは、これまた当時の興行状況を知る関係者との会話。
あらゆる面で「ヤマト」はツイていた。興行的な意味では、本来敵であるアメリカ映画のアクシデントが、逆に「ヤマト」の知名度を拡大し、上映館の拡大にまで間接的に貢献した。ブッキングは全国に広がり、最終的には、入場者数230万名、興行収入21億円、配給収入9.3億円(このデータは、徳間書店が昭和58年1月に発行した「ロマンアルバム・エクストラ53/「宇宙戦艦ヤマトPERFECT MANUAL 1」に記載されたもの。
資料協力として、当時の西崎氏の会社ウエスト・ケープ・コーポレーションが名を連ねていることから、最も信頼性の高い数値であると判断する」を記録する。これは1977年に公開された(正月映画含む)日本映画のうち、「八甲田山」「人間の証明」などに続く第9位、1977年時点でのアニメ映画歴代配収では、トップの成績である。
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-1
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-2
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-3
|