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第22回
深夜アニメ前史 |
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5) 斉藤守彦 【「さらばヤマト」、前作の2倍の大ヒット】 ティーン向けアニメの路線化 翌1978年。8月5日から公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」は、入場者数400万名、興行収入43億円、配給収入21.2億円という、前作の2倍以上の大ヒットとなる。こうなると、大手配給会社としても放っておけない。 以来松本零士原作、東映洋画部配給、メイジャー宣伝によるティーン向けアニメ映画が、夏休みにこのチェーンで公開されるのは、一種の路線として定着。「銀河鉄道999」は配収16.3億円と、同年における日本映画の最高を記録。以来80年「ヤマトよ永遠に」13.7億円、81年「さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-」11.5億円、82年「わが青春のアルカディア」6.5億円。 「面白いのは、『ヤマト』と『さらばヤマト』が当たったのに、西崎Pの新作ではなく、松本零士原作作品を続けて制作するあたりですね」「だって、『さらばヤマト』でヤマトは終わるはずだったからね」(徳山)。 今回色々な関係者を取材して感じたのは、「我々のヤマトは、最初の『宇宙戦艦ヤマト』と『さらば宇宙戦艦ヤマト』だけ。そこで終わっている」という意識の強さだ。確かに「新たなる旅立ち」「ヤマトよ永遠に」以降の同シリーズは、第1,2作には及ばずとも、興行的な成果を果たしたが、さてそれが本当にファンから望まれて製作した作品かどうかは、疑問が残る。そのジレンマは、内部で仕事をしていた徳山たちも同じように感じていたようだ。 「ヤマト」上映時東急名画座の副支配人だった会田は、後に東急レクリエーション興行部の部長となり、堀江、武舎の後を受けて直営館の上映番組編成をハンドリングした。90年代の後半、会田は1本のアニメ作品の存在を知った。 「あの時、なぜ堀江さんは『ヤマト』を、東急の劇場で上映しようしたんでしょう?」。会田に疑問をぶつけると、「そりゃあカンでしょうな。カンで番組を決めるのは、東急レクリエーションの伝統みたいなもんだよ」と、豪快に笑う。 低視聴率に終わったTVシリーズの総集編を、独立プロデューサーが配給会社を通さず、興行会社に直接持ち込み、あれよあれよという間に大ヒットしてしまった。暗中模索の70年代を迎えて久しかった当時の日本映画にとって「宇宙戦艦ヤマト」の存在は、紛れもなく光明だった。そして「宇宙戦艦ヤマト」のヒットは、それに携わった人たちの運命を、大きく変えたのであった。 (文中敬称略/取材にご協力下さった方々に、心から感謝します) 第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-1 |
| posted by animeanime at 2009.06.26 |
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