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2009年06月26日
0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ クールアニメ・マーケティング・ヒストリー ]
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」

第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)
ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-3

斉藤守彦

【「さらばヤマト」、前作の2倍の大ヒット】 ティーン向けアニメの路線化

 翌1978年。8月5日から公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」は、入場者数400万名、興行収入43億円、配給収入21.2億円という、前作の2倍以上の大ヒットとなる。こうなると、大手配給会社としても放っておけない。
 「さらばヤマト」を配給した東映は、同じ松本零士原作、東映動画制作による長編アニメ映画「銀河鉄道999」を、翌79年8月4日より公開する。上映系列は、銀座東急の閉館によって、新たに編成された渋谷東急=丸の内東映パラス=新宿東急=東急レックス=池袋東急=新宿東映パラス=上野東急の、東急レクリエーションがハンドリングする渋谷東急チェーンだ。

 以来松本零士原作、東映洋画部配給、メイジャー宣伝によるティーン向けアニメ映画が、夏休みにこのチェーンで公開されるのは、一種の路線として定着。「銀河鉄道999」は配収16.3億円と、同年における日本映画の最高を記録。以来80年「ヤマトよ永遠に」13.7億円、81年「さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-」11.5億円、82年「わが青春のアルカディア」6.5億円。
 夏休みではないが「宇宙戦艦ヤマト・完結編」「1000年女王」などが公開され、松本零士原作のアニメ映画は、すっかり渋谷東急系の恒例番組として定着した。こうしたティーン向けアニメ映画の流れが、やがて「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」など、宮崎駿監督作品へとシフトしていく。

 「面白いのは、『ヤマト』と『さらばヤマト』が当たったのに、西崎Pの新作ではなく、松本零士原作作品を続けて制作するあたりですね」「だって、『さらばヤマト』でヤマトは終わるはずだったからね」(徳山)。

 今回色々な関係者を取材して感じたのは、「我々のヤマトは、最初の『宇宙戦艦ヤマト』と『さらば宇宙戦艦ヤマト』だけ。そこで終わっている」という意識の強さだ。確かに「新たなる旅立ち」「ヤマトよ永遠に」以降の同シリーズは、第1,2作には及ばずとも、興行的な成果を果たしたが、さてそれが本当にファンから望まれて製作した作品かどうかは、疑問が残る。そのジレンマは、内部で仕事をしていた徳山たちも同じように感じていたようだ。
 徳山が所属したメイジャーは、いちやく“アニメが得意な宣伝代理店”との評価を業界内で受け、「ヤマト」以降もアニメ映画の宣伝を続々と手がけて行き、“アニメイジャー”とまで呼ばれるようになっていった。現在同社では宣伝業務を行っていないが、「ナウシカ」以降の、「となりのトトロ」「火垂るの墓」を除く「ハウルの動く城」までの、いわゆる“宮崎アニメ”=スタジオジブリ作品の宣伝は、すべて同社が手がけたものである。

 「ヤマト」上映時東急名画座の副支配人だった会田は、後に東急レクリエーション興行部の部長となり、堀江、武舎の後を受けて直営館の上映番組編成をハンドリングした。90年代の後半、会田は1本のアニメ作品の存在を知った。
 配給会社としては都内単館上映、きわめて小規模な公開でビジネスを終えようと考えていた作品であったが、「これは映画として、絶対にイケる」と感じた会田は、配給会社の営業部長を説得し、渋谷東急系の春休み番組に編成した。無論全国公開を前提としてだ。その映画こそ「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」であった。堀江と武舎が敷いた、クールアニメの路線を、会田が引き継いだわけだ。

 「あの時、なぜ堀江さんは『ヤマト』を、東急の劇場で上映しようしたんでしょう?」。会田に疑問をぶつけると、「そりゃあカンでしょうな。カンで番組を決めるのは、東急レクリエーションの伝統みたいなもんだよ」と、豪快に笑う。
 シネコン全盛の昨今では、映画館の上映番組を、担当者は配給会社がかける宣伝費の額で決めるという。そこには堀江が「ヤマト」や「食人族」を「何かありそうだから」と、カンだけで上映を決めた、そんなアナログな良さが感じられない。「エヴァンゲリオン」に可能性を見いだした会田は、後に「シュリ」「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」といった作品を東急系の映画館で上映していずれもヒット。堀江譲りの“カン”の鋭さを証明した。

 低視聴率に終わったTVシリーズの総集編を、独立プロデューサーが配給会社を通さず、興行会社に直接持ち込み、あれよあれよという間に大ヒットしてしまった。暗中模索の70年代を迎えて久しかった当時の日本映画にとって「宇宙戦艦ヤマト」の存在は、紛れもなく光明だった。そして「宇宙戦艦ヤマト」のヒットは、それに携わった人たちの運命を、大きく変えたのであった。
 
 1977年のことである。

(文中敬称略/取材にご協力下さった方々に、心から感謝します)

第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-1
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-2
第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)「宇宙戦艦ヤマト」=後編-3

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posted by animeanime at 2009.06.26
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