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第22回
深夜アニメ前史 |
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| [ 0斉藤守彦の特殊映像ラボラトリー ][ ゴジラVSシリーズの栄光 ] |
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斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 斉藤 守彦 【「ゴジラ死す?」】 そういえばゴジラって、死んでなかったんだなあ・・・少なくとも、はっきりと死ぬ描写があったのは、昭和29年版の「ゴジラ」だけだ。当時の筆者は「ゴジラ死す?」とのコピーを目撃しても、さしたる感慨はなかった。どうやらハリウッド・ゴジラ公開(当初は1996年夏と予定されていた)に際して、東宝は一旦シリーズを終了させるらしい。 「ゴジラVSデストロイア」には、大河原孝夫監督、川北紘一特技監督、脚本に大森一樹と、シリーズ最高のヒットとなった「ゴジラVSモスラ」のメインスタッフが再度結集したが、宣伝面においても「−VSモスラ」のヒットに貢献した宣伝プロデューサーが手がけるという、まさにこの映画のヒットは、東宝グループをあげて挑む一大ミッションだ。当時を回想して思い出すのは、公開に向けてのカウントダウンで期待感を煽っておきながら、肝心の本編を見せないという宣伝戦略をとったことである。当時「−VSデストロイア」の宣伝プロデューサーは、「一度やってみたかったんですよ、見せない宣伝!!」と豪語。恒例であった東京国際映画祭でのお披露目もなし。通常のマスコミ試写も開催せず、公開前の試写会はタイアップ試写会1回のみという“隠して売る”方法が用いられた。 【「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開】 作品内容ではなく話題性を売ることを中心に据えた「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開は、1995年11月1日に開通した東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」とのタイアップからスタートした。この「ゆりかもめ」開通のテープカットをゴジラが行い、13のテレビ番組でこの様子が放映され、またこれ以降「−VSデストロイア」は東京都港湾局が推進する副都心活性化プロジェクトと連動。12月23日から「超ゴジラ伝説in有明スタジアム」を開催(主催東宝・TBS、共催東京都)。さらには11月3日の「ゴジラの日」には42回目の誕生日を祝い全国24箇所でイベントを開催、銀座ヤマハホールで昭和29年版「ゴジラ」を上映した。 前述通り、試写会は12月3日の「『ゴジラVSデストロイア』ファイナル試写会」のみで、都内は日劇東宝、渋谷宝塚、上野東宝(小学館連合試写会)の3会場で開催。他の都市は各地区のTV局とのタイアップ試写会で、この日の試写だけで全国51会場1万名が鑑賞した。なおこの日は正午より、日比谷シャンテねむの広場に設置される「ゴジラの銅像」の除幕式が行われた(現在でもこの銅像は盗難に遭うこともなく健在)。 1995年12月9日、いよいよ公開された「ゴジラVSデストロイア」は、期待通りのスタートを切った。オープニングの勢いは、当時筆者が書いた記事によると「配収22.2億円をあげた東宝正月映画の新記録『ゴジラVSモスラ』を上回り、復活ゴジラ・シリーズ最高、そして正月作品として公開された日本映画としては最高(従来は東映『里見八犬伝』の23.2億円)の記録を超える可能性が大きく、東宝では『30億円に迫る驚異的な勢い、堂々たるスタート』とのコメントを発表した」とある。確かにそう表現してもおかしくはない、圧倒的なスタートであった。初日、2日目の興収上位ベスト3劇場は次の通り。 1=梅田劇場(1万5450名、2152万5400円) また「ゴジラVSデストロイア」は、6都市8館において、元日から5日までの5日間で、計6万7519名、興収8782万2950円をあげ、前作「ゴジラVSスペースゴジラ」対比人員122.6%、興収125.2%と2割以上のアップを果たした。最終的には配給収入20億円と、「日本沈没」とイーヴン、残念ながら「ゴジラVSモスラ」の22.2億円を上回ることも「里見八犬伝」の23.2億円を超えて、日本映画正月作品トップとなることは出来なかった。 |
| posted by animeanime at 2009.11.25 |
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