■ カルナバルな”享楽”的なメロディが藤堂平助の哀しい心情、悲劇性をクローズアップ客席通路から登場する藤堂平助。この作品の”王道”パターンだが、クローズアップされるキャラクターが真っ先に客席から登場するのは”お約束”。そして歌う、”前だけ見て進め”と。いかにも藤堂らしい歌詞だ。そして派手な立ち回り。演じる池田純矢、高い身体能力を生かしてのアクロバティックな動きと刀さばき、ちょっと悪ガキっぽい仕草がこのキャラクターにぴったりである。そして山南敬助、眼鏡の奥の目がなにかを物語る。そして回想シーン、藤堂が初めてやってきたところ、隊士たちとのやり取りが何故かなごむ。ここの楽曲がコミカルで、隊士たちのやり取りをより生き生きとさせてくれる。「ここでは経歴も身分も気にしませんよ」と山南が言う。そんな彼の何気ない一言が藤堂には身に染み入る。名家の生まれなのに、存在自体が否定されている、「この場所こそが自分の居場所」と思う藤堂に哀愁を感じる瞬間だ。それからお決まりのあの歌でキャラクター勢揃い、この歌が流れればもう気分は”ミュージカル『薄桜鬼』”である。そして千鶴のソロ。千鶴役は毎回変わるが、今回は田上麻里奈。『ライオンキング』のヤングナラ役から始まり、近年は『サクラ大戦奏組』の雅音子役、ミュージカルでは”ベテラン”の域で美しいソロを聴かせる。小柄でキュートな雰囲気が千鶴役にぴったり。宿改め(池田屋)のシーン等、そういった戦いの場面ではいの一番に馳せ参じる藤堂、やんちゃで無鉄砲、でも気のいい奴を池田が熱演する。武士は戦うのが”仕事”、いつも死と隣り合わせ、”何故、戦うのか”という目的がないと戦場には行かれない、いや、行ったところで、目的もなしには到底、刀など振り回すことは出来ない。”千鶴のために戦う”という藤堂平助。切なくなる一言だ。新選組の末路は哀しい。史実でも、小説、テレビドラマでもそうだが、勝ち目のなさそうな、いや、どうやっても勝てない状況でも向かっていく。もちろん、この『薄桜鬼』もそうである。そこに、あの”変若水”が……である。そもそも変若水は日本神話の神・ツクヨミが持つと言われた若返りの薬である。この変若水こそが、”切り札”、これを飲んでしまうと……なのである。そして大政奉還、新選組は”反逆者”、時の情勢によって立場が変わる。藤堂は「戦って死ぬ方がましだ」と言い放ち、千鶴はそんな藤堂に平手打ち。ここも”涙”ポイント。そして物語は一気にクライマックスへと突入する。今回の楽曲、ラテンな味付けが光る。ラテン系の音は通常、場面を明るく盛り上げるところで多用されるが、この『薄桜鬼』は物語自体、悲劇性が高いので、”陽”でありながら、その明るさがかえって悲劇性を増幅させる装置になっている。カルナバルな雰囲気であるが、その刹那的な”享楽”的なメロディが真逆な意味合いを持って観客に迫る。そして”どんなことがあっても千鶴を守る”という藤堂の決意が感涙。それを全身で受け止め、応える千鶴。今回初役の土方歳三を演じる井澤勇貴、舞台映えする長身で役柄にあった雰囲気、斎藤一役の橋本祥平、初々しい印象。池田始め、ほかの”隊士”はもはや貫禄十分だ。”鬼”関係者も風間千景始め、縦横無尽に駆け回る。ところどころに”お笑い”なやり取りもあり、結構笑わせてくれる。山南と藤堂、この2人の関係は切ない。史実では温厚な山南を藤堂が慕っていたそうである。しかし、山南が切腹させられ、それが元で藤堂は新選組を離脱したそうである。史実と照らし合わせると、ナルホドとうなずける部分がある。ラストシーンは、桜吹雪が降りしきる。楽曲のアレンジが総じて”明るい”印象だが、それが藤堂というキャラクターを物語っている。2幕もので休憩はさんで約2時間35分程。ダイナミックな殺陣とダンス、いつものことながら、ここはエンターテインメント性抜群で、ところどころ、いくつかの格闘技の型も取り入れ、力強さが感じられる。次回は誰をフォーカスするのだろうか。
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